ジェイワン総合研究所・写真の撮り方を初心者から街の指導者になる

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ジェイワン総合研究所

40代50代で行う生涯現役人生の構築準備

*モルジブ (Republic of Maldives) morujibu.bmp
樋上 晴彦の写真の世界
樋上晴彦から直接指導が受けられる
教室を開催
       受講生募集
商品撮影などを手がける一方、押井守監督の映画などのスチル写真、イメージフォトなどを手がける。

押井守監督が信頼を寄せる写真家である。

アニメ製作の場合、ロケハンに参加し、彼の写真をもとにレイアウトなどが決められる。そのため、彼の写真が一般に発表されることは少ない。ただし、近年では映画『イノセンス』公開に関連した「球体関節人形展」(東京都現代美術館)、「世界都市展」(森美術館)などで展示が行われた。

◆主な仕事
紅い眼鏡 (1987年) (スチル撮影)
機動警察パトレイバー the Movie(1989年) (イメージフォト)
ケルベロス 地獄の番犬 (1991年) (スチル撮影)
トーキング・ヘッド (1992年) (スチル撮影)
機動警察パトレイバー 2 the Movie (1993年) (イメージフォト)
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 (1997年) (イメージフォト)
イノセンス (2004年) (イメージフォト)


ワルシャワの街並み
イベントがいよいよ幕開け。warusyawa.bmp
初めてのポーランドは11月の中旬、東京はまだ秋晴れの只中だったが其処はすでに真冬の空気に覆われていた。日本からポーランドへ行く直行便は無く、すべてヨーロッパの主要都市を経由しなければならず、フランクフルト乗り換えを含めて12時間後、夕闇のワルシャワ空港に到着した。清潔で機能的だが大きさは日本の地方空港並み、その空港を後にして市内のホテルに向かった。はじめて見るワルシャワの街並みは、旧社会主義体制の影響下のまま薄暗くもの寂しい印象(これが夏には全く別物に変わる事が後々判るのだが・・)宿泊先の市内中央部にあるホテルは、外観こそレンガで覆われた立派な建物であったが部屋のつくり・設備は旧態然としたものだった。働く人たちも、性格なのか旧体制の労働意識のままなのか・お愛想なしのいたって機械的な対応。我々は時間も遅くなってきたので、とにかく食べよう!と開いているレストラン探すため表に出た。街灯で光る通りがキラキラと綺麗に見えたのは、路面が凍結しているせいだという事に気づく。東京ではまだ暖かな日々だったのに、此処では既にコート・マフラー・手袋の真冬3点セットの完全防備。緯度では北海道より北に位置する国なのだから当たり前・といえばそのとおりと納得し、ポーランド料理を求めて街中へ歩き出した。





香港
闇に響くシャッターhonnkon.bmp
永く写真の仕事をしてきても、カメラに関しての特別な思い入れなどは無かった。それぞれの特性さえ理解すれば国産メーカー製なら値段の差に関わらず問題なく使えるものと信じていた。広告写真が主体のスタジオ撮影ばかりしている頃は、同じカメラ・同じライトで壊れでもしない限り使い続けていた。コンセプトフォトに参加してしばらくは日頃使うことも無かった手持ちのカメラで撮っていたが、作品が変わり出かける場所の環境が様々になってから「今回はカメラごと変えてみよう!」などと思うようになった。それまでカメラと言えば,スタジオ仕様の6×7・4×5サイズが常用で、時々風景撮影などに・8×10(エイトバイテン)などと言う1枚のフィルムが週刊誌大にサイズのカメラなど持ち出していたが、なぜか35mm一眼など殆ど使うことも無く、手元には古いニコンが有るだけだった。香港へ頻繁に出るようになったとき、船上で波を被ったカメラ3台が動かなくなり、大急ぎで街中の中古カメラ屋に飛び込んだ。香港でわざわざ新品のMade in Japanを買う気にもなれず間に合わせに中古を探すことにしたが、さすが日本ブランドは強くかなりヘタった物でもヨドバシの新品価格並で呆れてしまった。現金も大して持っていなかったし、怪しげ中古屋ではカードなど使えないのでこの際と思って一番安いレンズ2本付き一眼レフ・Made in Chinaをさらに値切って買い込んだ。キラキラ輝くシルバーボディ・妖しげに光るコーティングレンズ、どこから見ても生粋のM/in/Cだった。残り2日の撮影で妖しげカメラは順調にシャッター音を放っていたが、帰る前夜、台風襲来の街中でカーブを曲がって来た2階建てバスが水溜りを思いっきり撥ねて突進。構えていたカメラは敢え無く撃沈、無骨に響くシャッター音は僅か1日で聴けなくなった。その後のカメラ・全メーカ制覇は、この時がきっかけだったのかもしれない・





清いながれの蘇州・CHINA sosyu.bmp
中国という国に往くのがとても好きです。混沌と雑音の国と言われますがその中に静かに入り込むと、整然とした人々の生きるための秩序が見出せ、それが私にとって忘れかけていた生活のリズムなんだと言うことが思い出されます。ある時映画『イノセンス』の最終のロケハンのため上海に行きました。

数年ぶりの街でしたが、あまりの変わりように、あのときのあの場所はどこなのと驚いてウロウロしました。旧日本人地区は取り壊される寸前で、この中でひそやかに往き続けた人々がいたことに、驚きました。通常の観光では絶対に開放しない地区ですから。この話は写真を添えて後に書きたいと思います。今回水路を見つけることが目的で、北東部・蘇州を目指し、途中周荘の街で暫し水上の観光を楽しみました。モーターつきの小型遊覧船が行き来する川面は左右の石作りの平坦な建物が並ぶ静かな街で、通り過ぎる石組み丸眼鏡陸橋の上から、学校帰りの女の子たちがワイワイと手を振ってくれる、平和な観光地です。2時間近く乗っていると誰かしらとも無く、お腹減ったね船降りたら何か食べようよ、そうだ!ここは河海老・川魚料理が有名らしいが、周りにいっぱい料理店あるからどこか入ろうと話している最中、川沿いの左右の食事所の裏側・ビニール・発泡スチロール・切り刻んだ魚の切れ端の浮かんだ河側には大量の食材と食器をザブザブ洗っているおじさん、おばさんであふれていた。我々情けない東京の食生活に浸りきっている人間には、少々きついかな・・と躊躇した。